セイラビリティ伊勢


セイラビリティ(sailability)の活動は、障害者のためのセーリング支援活動としてイギリスで始まりました。それが今では、SailingとAbilityが一緒になってできたこの言葉のように、障害者のためのセーリングでなく、障害、年齢、経験に関係なく、誰もが自由なセーリングを楽しむ活動として世界各国に広がっています。

2002年12月にセイラビリティ伊勢を発足して以来徐々に仲間も増えました。気軽にチャレンジできるヨットなので興味のある方は一緒にセーリングを楽しみましょう!障害者も健常者も一緒にヨットを通じて仲間つくりをしよう、伊勢志摩にもこの輪を広げようという熱い思いが湧き上がっています。
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セイラビリティ伊勢版・街道をゆく 2012.2日目
3;セイラビリティ伊勢版 街道をゆく・2012〜明石海峡と淡路みち、阿波紀行 2日目〜

2日目は、若干冷えるものの、朝から快晴だった。朝食前に、数名が宿から約3kmの神社へ朔日参りに行った。
8時に観潮荘を出発。高速道路を北上する事1時間弱で、東浦バスターミナルへ到着。今日は、島の北側60kmルートを走るようだ。
島田さんを先頭とする集団で走り始めた。中山さんは、伴走として集団をサポートする。
28号線を南下。細かなアップダウンはあるが、あの琵琶湖1日目・山岳ステージを思えば、平坦なものだ。
28号線に入ってすぐは繁華街だったが、次第に ‘集落’へ変わっていく。
約10分後、島田さんの提案で、10分交代で前を牽く事になった。2月11日のトレイン講習会が活きるか?
そのまま南下していた所、遠方に白く巨大な観音像が見えてきた。鎖骨の辺りに展望台らしきものがあり、俗っぽさがプンプン漂うし、海南島は三亜にある観音像並みに、景観ブチ壊しじゃないか! しかし、この数時間後、筆者の身に惨劇が起きようとは、この時は知る由もなかった…。
更に南下すると、左側に海が見えてきた! 今日の海は、実に穏やかだ。風も弱く、サイクリングにはいい状態だ。左側に海を見つつ進むと、国道28号線と県道157号線との分岐点があり、28号線を直進する事に。…坂じゃないか!! 当然速度が落ち、後ろから河合さんが
「蹴飛ばすぞ〜。」「チューブを鞭代わりにして打つぞ〜。」等と冷やかしてくる。
再び、市街地へ。「志筑」交差点だ。ピンクユニ姿の自転車ツーリング組が、ファミリーマートの前にいた。ここで漸く、今回河合さんだけTeam I.S.E.ユニ着用だ、と発覚。河芸の井上さん、ごめんなさい、
交差点を右折。郡家方向へ進む。暫し内陸へ88号線を走る。後で知ったが、赤い屋根とたこせんべいの里が、この88号線沿いにあるらしい。…でも、目に入らなかったなぁ。通ったかも曖昧だ。
多分それは、…牽かされた所為だろう。ついに、筆者の牽き番になった。早速、目の前に坂が!! 平坦が良いって、さっきから言っ…てないか、誰にも。思うだけじゃダメなのだ。
私は、(前の)職場でも家でも、常に急きたてられ、注意されたり、「早くしろ! 」等、どやされたりしてきた。故に、「早よ走らな、怒られる…私の所為で後続が閊えたら如何しよう…」と、ノイローゼ状態でこいだ。…筆者の予想以上に速かったようだ。こんな時に、日頃の精神状態が影響するんだ!! 坂を下った所で牽き番を終えた。
暫く走ると、目の前に伊弉諾神宮が見えてきた。折角だからと、皆で参拝する事に。好天もあってか、清々しい雰囲気の参道には、ゴツゴツした、大きく如何にも堅牢な石があった。これが、君が代に歌われる、さざれ石なのか!! 流石、国生み神話で有名な神社だけの事はある。
この日は、赤ん坊を抱き、百日参り(多分)に訪れる御夫婦の姿が目立った。伊弉諾神宮には、縁結び、夫婦円満、子授け祈願の為に人々が訪れるそうだ。縁結び…?! 二見の夫婦岩もそうじゃなかったか?!
巫女さんにお願いして、重厚な造りの神門を前に皆で記念撮影した時、強力会長の携帯電話のカメラ機能が急に作動しなくなった。他の方のカメラで撮影を済ませたが、作動しなかった理由は…不明。ま、パワースポットという事で! 巫女さん、撮影をありがとうございました。
参拝後、数名が御守り等を購入。賽銭だけ持ってきた筆者は、中山さんからお金を借りました。すみません。
神宮には亀の像があり、池にも亀が多い。奈良県の鹿みたいなものか…と思ったら、病気の快癒の報賽に、または長寿祈願で、亀を池へ放つ信仰があるらしい。亀は万年と言うし…。それで亀だらけなのか!!
駐輪場に戻った際、現在まさに計算通りのペースで進んでいて、このままだと14時過ぎに終わるだろう、と島田さんが仰った。それを受け、筆者以外の誰かがツアー後の温泉と神戸・南京町での夕食を提案する。
再び海が見えた。播磨灘だ。島田さんと中世古先生が、昼食の為の飲食店を探しに先に行き、残りの面々は、港町の路地を通過する。
お寿司屋さんで昼食の際、早くも次回自転車ツアーの話で盛り上がる。セイラビリティ伊勢は、あくまでもヨットクラブだよね…。
昼食後、早速また筆者が牽く。道を真直ぐ行けば良く、わかりやすい。空は快晴。播磨灘沿いの平坦な道をずっと走る。
この間、井本さんや中瀬古先生が、ギアチェンジレッスンをして下さった。筆者は左ギアを変えずにこぐが、左も適宜変えて、楽にこげるようにすべきだ、との事だ。でも、難しい。練習せないかんなぁ。
遠くに城が見えてきた。淡路城というのかな。寄って行こう、という意見も出たが、
1:高い所にある、2:城の傍に俗っぽい建物がある、3:入口前に、けったいな石像が2体ある
…これは怪しすぎる!! 寄らんどこや、とそのまま通過。個人が建てた美術館だ、と後日判明。関係者の皆様、ごめんなさい。それにしても、観音像、淡路城…と、1周150kmの島に何故けったいな建造物が複数あるのか、実に理解し難い。
 


とにかく、播磨灘沿いを北上していたら、本州が、更には明石海峡大橋が見えてきた!! 橋を目指し、ペダルを踏み込む。
橋の麓の道の駅で休憩。橋を見上げ、日本の、度重なる台風や地震に鍛えられた建築技術の高さを想う。自転車ツアー中らしき男性に頼み込み、橋をバックに皆で記念撮影。ツアー中らしき男性の方、ありがとうございました。良い旅を! って、もうツアーは終わったか…。
その後、絵島を通過。そろそろ残り6km、と、中山さんから言われた一団、じゃあ、time trialをしよう、とその6km地点で一斉にダッシュ。伊藤さん、西井さん、筆者がポツンと取り残された…。
その内、伊藤さんも遥か前を走っていく。今更加わるにも、疲労が溜まっていた。ギアチェンジで足を楽にすべく、ギアを変える。が、その際ギアを見ていたのが大間違いだった。何時の間にか歩道に寄りすぎ、縁石に当たり、落車したのだ!
どうも、骨折は無い。肩を擦りむいただけだ。だが、怪我より落車した事実と、買ったばかりの服に穴が開いた事の方が遙かにショックだった。
「また服を買わないかんのか…」と呻く筆者に、西井さんが、「そんなの、買い替えへんて。勲章やんか。」と仰る。
また、自転車の左ハンドルに傷が付いていた。去年の12月に買ったばかりなのに! …怒りと落胆が綯交ぜになる。これが、観音像を貶した罰なのか…どっちの?! 両方か。
また、落車の衝撃故か、チェーンが外れていた。西井さんが、直して下さる。ありがとうございます。
西井さんと共に、ほうほうの体で東浦バスターミナルへ到着。忠告や慰めの言葉をかけた他の参加者に、この時事もあろうに、筆者は卑屈で非礼な言動や態度をとったのだ!!!
汝、人様の好意や忠告、優しさ、気遣いに卑屈な言動や態度で返すべからず。肩の傷は癒えても、卑屈な言動や態度をとった事による、筆者の心の傷は、決して癒えない。
そう言えば、筆者は、伊弉諾神宮と夫婦岩で縁結びを願った。両方共、縁結びで有名だ。だが、祈る人の人間性が悪ければ、御利益がなく、永久に縁遠いわけだ!!
縁結び祈願に日々励む、全国の独身女性に告ぐ。縁結びで有名な、全ての神社に行くより、己の人間性を日々磨きつつ、近所の神社に参拝する方がどれ程効果的か! 神はご覧になっているのだ。
…そんな筆者の自転車を、試行錯誤しつつも輪行袋に入れて下さった、河合さん、中山さん、中世古先生、ありがとうございます。ここで、西井さん、河合さんが帰途に。御二方共、お疲れ様でした。
残りの面々で、東浦サンパーク内の温泉へ行く。淡路市民と淡路市外の人では、料金が違う。お風呂には、花が浮かび、癒しの空間を来場者に与えている。地元の人が多いのかな。憩いの場になっているようだ。
 


帰りの明石大橋である。どうせなら昨日、こんな顔を見せて欲しかっ…いや、1日だけでも見せて下さった事に感謝すべきだ。
これで、淡路島とはお別れ。向かうは、神戸の南京町だ。神戸の洗練された都会の雰囲気と人の数に圧倒され、異世界に降り立ったような感覚を覚える。同じ日本なのに…。
さて、南京町に入る。老祥記の前には、豚まんを求める人の大行列。それを見た我々は、空腹を早急に満たすべく、近くの広東料理店・昌園に入る。円卓を囲み、コース料理を3人分、ラーメン2品を皆で分け合う。どの料理も美味しく、お腹一杯になった。
食事中、島田さんから、衝撃の事実がもたらされた。何と、淡路島150kmツアーのはずが、今回自転車をこいだのは60km弱で4時間程、自転車より車に乗る時間が長く、グルメや観光の時間が更に長かったそうだ。一体、何をしに来たのだ、我々は…。
「程々の距離だったから、良い形で余裕を残した格好だ。」「また来ようって気にもなるね。」との言葉が飛び交う。
昌園から出た頃、前の広場が綺麗にライトアップされていた。心奪われる光景で、異世界の奥へと踏み込んだような錯覚を覚える。
老祥記の豚まんは、その時間には既に売り切れ。豚まんを食べたい組が、残念がっていた。が、通りの屋台で思い思いに軽食を買い、美味しく頂いた。その後、駐車場に向かい、土産と様々な思い出、疲労と筋肉痛への懸念を抱いて、家路を急ぐのだった。

そして、今回のツアーは、図らずも司馬遼太郎の足跡を辿る旅だった、と筆者が気付いたのは、数日後だった。
街道をゆく7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか、(この本に、淡路島の事が載っています)
街道をゆく32 阿波紀行、紀ノ川流域 
街道をゆく21 神戸・横浜散歩、芸備の道

我々の本来の目的は “上沼恵美子の庭を自転車でぐるり1周”だった。結局、淡路島は自転車ツアー客としての我々には優しくなかったが、淡路島及び、明石海峡・鳴門海峡に面した地域の文化や歴史、空気を堪能させてくれた。今度こそ、必ず150km走破しようではないか。待ってろよ、上沼恵美子さん!! …違うか。

…以上が、セイラビリティ伊勢版・街道をゆく、の顛末である。
今回の企画の主宰者の井本さん、宿泊手配の伊藤さん、サポートカーの中山さん、ありがとうございました。また、長時間の運転をされた全ての方々、お疲れ様でした。

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